ドゥームズデイ・クロック – ジェフ・ジョーンズ


アメコミ界を以前/以後で切り分けるほどの影響を与えた伝説的作品『ウォッチメン』の続編に当たる。とはいうものの前作のような読者に高いIQを求める内容ではなく、DCキャラクターを使ったクロスオーバーとして読むべき作品である。

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『ウォッチメン』の世界よりDCユニバースへやってきた神のごとき存在ドクター・マンハッタン。彼が去ったことで『ウォッチメン』の世界は再び核戦争の危機を迎えていた。一方でDCユニバースもまた、ドクター・マンハッタンによる歴史改変の影響で滅亡の危機に瀕することになる。二つの世界を救うため、オジマンディアスやロールシャッハ、そしてDCユニバースのヒーローたちが立ち上がる。
しかし、全能に等しい彼を止められるのはただ一人、スーパーマンだけであった……。DCユニバースの過去、現在、未来までもが大きく変化する、歴史的瞬間を刮目せよ! - ShoPro Books

『ウォッチメン』を世界でもっとも面白い漫画の一つだと認識している人間であるにも関わらず全然情報を追っかけていなかったので、いつの間にか邦訳が発売しており気付いたらプレミア価格になっていた。「ま~ちょっと待つか」となって最近ふと思い出したら定価に戻っていた。それでも5000円超えである。前作の『ウォッチメン』は3400円+税。まっこと高くなり申した……。

1986年~87年にかけて発行された『ウォッチメン』はその余りに衝撃的な内容で、以後のすべてのアメコミに影響を与えていると言っても過言ではない作品である。と、同時に孤高の作品でもあった。元々はチャールトンコミックスの版権キャラを使って話を書く予定だったのに許可が下りなかったので本作用のオリジナルのキャラを用意して作られ、結果他作品とは完全に独立した話になっている。が、結局続編でDCユニバースに組み込まれることになったらしい。

実際ストーリーも途中からDCユニバースのヒーロー・ヴィランがメインになってきて、DCに対する知識が無いとなかなかキツいところがある。前作は既存のユニバースやキャラに関する知識が要らない作品で全1巻で完結しているので、アメコミを読んだことが無い人にも(「信じられないくらい歯応えがある」という注釈を付けた上で)オススメされたりする作品だったのだが、本作はそうもいかない。

さて内容はというと、やっぱりDCコミックス・クロスオーバーという感の内容である。前作の超高密度な情報の摂取って感じの作品では無い。

『ウォッチメン』はコマの中に猛烈にたくさんの情報を入れていたが本作はあんまりそれを感じない。特徴的な9コマのコマ割りとかは踏襲していることが分かるんだけど、前作では、背景の壁に貼られている広告・ポスターの文面に意味があったり、構図自体に意味があったり(オジマンディアスが「やったぞ!」と振り上げた両腕が終末時計の針を表していて「やってない」ことを暗示する、等)した。本作は多分そういうのに注力していないと思う。

構図を決める意図が含意ではなくてオマージュから来てるように見えるんだよな。例えば第6章(マリオネット回)で現在と回想のシーンの切り替わりで構図を被せるのは『キリング・ジョーク』を意図しているんだろう。そこで「マイムとマリオネットの元ネタがジョーカーとハーレイクインだもんなぁ」と思っていたら、実際の元ネタはチャールストンコミックのパンチ&ジュエリーだと聞いて「うん……?」ってなった。じゃあ関係無い……?

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まぁ普通にアメコミとしての完成度を優先する作り方なんだと思う。見開きで滅茶苦茶いっぱいヒーローを描くのは滅茶苦茶カッコいいんだけど『ウォッチメン』的じゃないよなぁ。凄く……『DCコミックス』です……。『ウォッチメン』だったら例えば、『放射状に外側に広がって飛んでいくヒーローたちの位置が左右対称になっている→次のページで同じ形のロールシャッハテスト→マルコム医師の回想シーン、マルコム「他の患者は希望と言っていたが……」コバックス「破壊だ」』みたいなことやると思う。

『ウォッチメン』で猛烈な衝撃を受けた人間としては別に同じのを描けとは言わないが、あの作品がやったことを現代版にアップデートして唸らせて欲しかった、みたいなところがある。「ユニバースはスーパーマン一人に帰結する」ってなると本来無限の可能性があるはずのものがエラくショボいものに思えてしまうのは、私がアメコミに詳しくないからなんだろうか。

アラン・ムーアに限らずアメコミ界隈に対して辛口なタイプの人も何故かスーパーマンだけは別格に好きだったりするからそういうもんなのかな。作中のキャラもそんな感じで「「「俺たちのスーパーマンを貶めた奴が火星にいるぞ!許せん!!」」」とばかりに火星に勢揃いしてビックリした。Drマンハッタンがインフィニティ・ガントレット(記事)のサノス状態である。

そういえば映画版『ウォッチメン』のパッケージの粗筋に「スーパーヒーローがいなくなったら一体誰が我々を守ってくれるのか?」って書いてあって、観た当時「オメーはこの映画本当に観て書いたんか?あ?」ってなったのだが、今「スーパーマンがいなくなったらDCはどうなってしまうのか?」みたいな気持ちになっている。

こういうヒーロー賛歌みたいなのも別に悪くはないんだけど、ヒーロー作品が描いてきたことに波紋を投げかけるようなアンチヒーローストーリーとも言える『ウォッチメン』が「スーパーマンを中心としたヒーロー賛歌」に組み込まれてしまった印象があり、マルチバースとか言う割に多様性無いな!とガッカリするところなのである。「ウォッチメンがDCコミックスになっちゃった……」みたいな。いや最初からDCコミックスなんだけどさ。『ウォッチメン』は『ウォッチメン』にしか描けないけど、『DCコミックス』は『ウォッチメン』じゃなくても描けるじゃん。

アラン・ムーアが書くわけないのは当然なのだけど、続編の存在を知ってライターを調べたとき「あ、ジェフ・ジョーンズなんだ」ってなった。その時点で『ヒーローコミックスになる』のは決まっていたというか、最初からあの作品の続編を書く企画では無かったというか。もし仮に『ウォッチメンを描く』のなら、ムーアの友人で執筆時に作品の内容について相談をしていたニール・ゲイマンを連れてくるしかなかった、という気がする。そうまでして書くかって話にもなるけど。

もっとも『ウォッチメン』以降、その影響を受けていないアメコミなんて究極的には無かったわけで、ある意味「ウォッチメンの子孫」はとっくの昔に山ほど出ているんじゃないかと言う気がしないでも無い。そう考えると正しかったのかもね。


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