バットマン:キリングジョーク – アラン・ムーア


何もかもジョークなんだよ…みんなが大仰に崇め奉っているものも、後生大事に戦い守っているモノも…すべては桁外れにバカげたジョークさ

だったらそいつを楽しみゃいいだろ?なのに…
おめぇはなぜ笑わねぇんだ?

1988年、アラン・ムーア作。50ページも無い短編であるにも関わらず、本作以降のバットマンとジョーカーの解釈におそらくもっとも強い影響を与えている。

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最悪の一日が、幕を開ける――

アーカム精神病院からゴッサム最強の犯罪王ジョーカーが消えた。脱獄に成功したジョーカーは、ゴッサム市警本部長ゴードンを拉致し、さらにその娘バーバラを刃にかける。そして、ジョーカーはフリークスの集まる遊園地で、ある実験を試みる……。絶望的な状況下において、人はどこまで正気でいられるのか?そしてジョーカーを狂気に駆り立てる「過去」とは?

アメコミ界の異端児アラン・ムーアが、ジョーカーの誕生の秘密を暴く!! 全編最カラーリングに加え、特典としてブライアン・ボランドのカバーギャラリー、隠れた名作『罪なき市民』を収録。 - ShoProBooks

既読作品。ドゥームズデイ・クロック(記事)を読んで、おそらく本作を意識した回があったので思い出して再読した。短いのですぐ終わる。

場面の切り替わりで構図を被せる手法が印象的である。映画用語でマッチカット(参考:マッチカット - Wikipedia)と呼ばれる手法で本作のオリジナルというわけではないが、これほど執拗に繰り返すのは珍しいのではないか。ドゥームズデイ・クロックで使われていたのがまさしくこれ。他のムーア作品でも結構出てくるのだが、やっぱりキリングジョークだよな。

多用されるマッチカットの解釈は色々あると思うのだが、終盤でジョーカーが主張する「俺のことを異端だと言うがお前らの世界だって紙一重だって!」あたりに掛かっているんだろうか。しかしリンクの存在を印象づけた後に「バーバラが腰を銃で撃たれる→次のシーンの回想が食事のシーンでエビの足を捥いでる」の凄惨さは言葉を失う。表紙絵の「SMILE!」のシーンも本編に描かれていないがどの場面なのかは明白で、こういう表現に他の作品とは違うものを感じてしまう。

さて、なんといっても本作の白眉はラストシーンである。

そのとき最初の奴がヒラメいた

奴ぁ言った。"おい、俺は懐中電灯を持ってる!この光で橋を架けてやるから、歩いて渡ってこい!"

だが、二人目の奴ぁ首を縦に振って……怒鳴り返した

"てめぇ、オレがイカれてるとでも思ってんのか!"
"どうせ、途中でスイッチ切っちまうつもりだろ!"

ジョーカーがバットマンに「私がお前の助けになれるかも知れない」という主旨の発言を言われた後のこのジョークは本当にたまらない。こんなシーン描かれたら以降の作品は「バットマンとジョーカーは狂人という意味では何も違わない」というルーツから逃れられない。なお一人目の発言は原文では

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Hey! I have my flash light with me. I will shine it across the gap between the buildings. You can walk across the beam and join me.

であり、beamに光線(beam)と梁(beam)の両方の意味が掛かっていて「橋」という表現は意訳らしい。ここは調べるまで全然読めてなかったな。

そして最後の最後、自分は初見時「バットマンがジョーカーを殺している」としか思っていなかったのだが、世間的には色々解釈があるようだ。確かにバットマンは不殺という流儀があるから殺さないかもしれない。ただこのお話はアーカムアサイラムに来たバットマンが「このままでは殺すか殺されるかだ」って言うとこから始まってるんだよな。ラスト2コマで「ビームが消えている」のも先のジョークに掛かっていて意味深だ。

それはさておき作品全体に貫かれる構図リンクの法則を踏まえると少し本作の解像度が上がる。本作は雨が降っているコマで始まり、全く同じコマで終わっていて、初見時は単に被せているだけだと思っていたのだが、この間『バットマン:ザ・ラスト・エピソード』(記事)を読んだからか少し違うことを考えた。

ザ・ラスト・エピソードは「バットマンの最終回」として書かれた、バットマンというヒーローの永続性について謳った作品である。キリングジョークの最初と最後がリンクしていると言うことは、ザ・ラスト・エピソードと同じで「(アメコミ世界で)バットマンとジョーカーという二人の精神患者はこの関係性を繰り返す」と言うことを意味しているのではないだろうか。余談だがザ・ラスト・エピソードの著者ニール・ゲイマンはアラン・ムーアの盟友で、ウォッチメン制作の際の相談相手でもあった人物(なのでウォッチメン冒頭の献辞に名前が挙がっている)であり、その辺にも接点を感じてしまう。

だとしたらアメコミの歴史においてもっとも分かちがたいヒーローとヴィランのコンビの関係性の描写として秀逸な表現で脱帽してしまう。いやはや本当に凄い作品だ。


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