秀逸なタイトル SF小説編

SF小説のタイトルは秀逸で印象に残るものが多いが、個人的に好きなものを並べてみた。順位はつけず作者名(をカタカナで表したとき)の五十音順で掲載。なお私は国内のSFはあんまり読んでいないので全部海外SF。

Sponsored Link

Contents

各タイトル

ジョージ・アレック・エフィンジャー「重力が衰えるとき(When Gravity Fails)」

イスラム文化とサイバーパンクという異色の組み合わせを持つブーダイーン三部作の第一巻。SF作品で重力という単語が出ると文字通りの科学現象のことを指すように思われるが、これはボブ・ディランのJust Like Tom Thumb's Bluesの歌詞から取られている抽象的な表現である。

ハーラン・エリスン「ガラスの小鬼が砕けるように(Shattered Like a Glass Goblin)」

短編ドラッグ小説。薬漬けになって幻覚を見るようになってからの描写はいかにもウルトラバイオレンスという感じである。短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの』に収録されているが、新世紀エヴァンゲリオンとセカチューの愛称でヒットした映画のおかげでこの表題作の方がずっとメジャーだな。

ハーラン・エリスン「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ(I Have No Mouth, and I Must Scream)」

こういうタイトル見るとどうしても「弱かったキャラクターがクライマックスで渾身の力を振り絞る」みたいなイメージを持ってしまうのだが、当然ながらエリスンはそんなの書くわけがなかった。機械に支配された地球で最後の人間となった主人公の凄惨な末路を表す、この小説の一番最後の文章でもある。

この小説は今までは既に絶版のアンソロジーにしか収録されていなかったので読むのが大変だったのだが、割と最近になって『死の鳥』に収録されて簡単に読めるようになった。なおヒューゴー賞受賞作の「悔い改めよ、ハーレクィン!とチクタクマンはいった」も同様の状況だったが、同じく収録されている。いい時代になったものだ。

ブライアン・W・オールディス「すべての時間が噴きでた夜(The Night that All Time Broke Out)」

「老齢に差し掛かった主人公が最後に見た走馬燈」という予想をしてしまうようなタイトルであるが、時間制御が一般的になった世界で起きる事件を書いた短編小説。長い間絶版状態だったハーラン・エリスン編纂のアンソロジー『危険なヴィジョン』に収録されている。

アーサー・C・クラーク「幼年期の終り(Childhood's End)」

SF古典作品であり、2大SF邦訳出版社である早川書房、東京創元社(こっちでの邦訳名は「地球幼年期の終わり」)の他に、光文社古典新訳文庫からも邦訳が出ている。

完全に余談なのだが早川書房って「終わり」の送り仮名が「終り」になるのなんでなんだろう。ヒューゴー賞を受賞したジョー・ホールドマンの戦争SF「終りなき戦い」もそうなんだよな。

ロバート・シェクリィ「人間の手がまだ触れない(Untouched by Human Hands)」

いろんな想像をさせてくれるタイトルであるが、内容は食糧難となった宇宙船クルーが食べられる物を探してめぼしい惑星に到着し、いなくなった先住民の資料を調べながら食料となるものを探すも、奇妙なものばかり見つける……という若干コメディ風の内容である。ファーストコンタクトという予想は当たってたんだけどなぁ……。

コードウェイナー・スミス「星の海に魂の帆をかけた女(The Lady Who Sailed the Soul)」

万年単位の宇宙史を持つ人類保管機構シリーズの一つ。宇宙の移動がまだ大変な労力をかけなければならなかった時代に、犠牲を払って宇宙航行をした女性の話。その先の時代では平面航法という手法が生まれる為こんなことをしなくてよくなるので、そういうところは少し切ない。

コードウェイナー・スミス「青をこころに、一、二と数えよ(Think Blue, Count Two)」

宇宙航行中のクルーに起きる事件の話。タイトルは言ってみれば守護霊を呼び出すおまじないみたいなものなのだが、そう考えるとおとぎ話のようだ。『星の海に魂の帆をかけた女』と同様、『人類類補完機構全短編』の1巻(記事)に収録されている。

テッド・チャン「あなたの人生の物語(Story of Your Life)」

寡作化であるテッド・チャンの数少ない短編集(記事)の表題作。冒頭から「あなた」に向かって語り掛ける奇妙な文章から始まり、宇宙人の言語を学ぶことで主人公に起きた変化、そして「あなた」の正体とタイトルの意味に最初に読んだ時には非常に感心した。なお「メッセージ」のタイトルで映画化もされている(記事)。

テッド・チャン「地獄とは神の不在なり(Hell is the Absence of God)」

とてもSF作品とは思えないようなタイトルであるが、文字通りのラストを迎える。宗教心という社会学的なテーマを持つ短編で、オチに思わず唸ってしまった。こちらも短編集『あなたの人生の物語』に収録されている。

ジェイムズ・ティプトリー・Jr「たったひとつの冴えたやりかた(The Only Neat Thing to Do)」

SF作品を全然知らなくてもタイトルだけは知っている人が多いであろう作品。表紙にThe Starry Riftと書かれているがこれは3つの短編を含むこの書籍の作品名で、このトップバッターの短編のタイトルが「たったひとつの冴えたやりかた」となる。

単身宇宙船に乗っている主人公に生命体が寄生し、もし自分がこのまま基地に帰ればどうなるのか悟った主人公は……といういわゆる泣ける作品なのだが、先に読んだ訳者あとがきで「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない」とか書かれていてこういうことを言われるとなんか冷めてしまったのか、私は人間じゃなかったみたいです。

Sponsored Link

この作品自体に罪はないが「ネット上の記事でタイトルで煽る為に使われる」のを山ほど見てから印象が悪くなってしまった……。

F・M・バズビイ「ここがウィネトカなら、きみはジュディ(If This Is Winnetka, You Must Be Judy)」

時間シャッフルものSF。自分の意識が時系列順に進んでおらず幼少期も老齢期もランダムに経験するというカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』(記事)のような設定で、タイトルは目が覚めた時ウィネトカ(イリノイ州北東部の地名)にいるなら、一緒にいるのはジュディだろう、という意味。凄いのはこんなタイトルなのにジュディは脇役ってことである(記事)。

SFマガジン創刊50周年記念アンソロジーの時間SF傑作選に収録された表題作であるが、この本は時間SFのいろんなパターンを収録していてループ物のアニメやゲームが人気になる何十年も前から、時間ものなんてやりつくされていることがよくわかる。余談ながらスローガラスという有名なアイテムを生み出した作品でありながら読む機会を持ちづらかった、ボブ・ショウの『去りにし日々の光』を収録している本でもある。

フレドリック・ブラウン「天の光はすべて星(The Lights in the Sky Are Stars)」

なんだかロマンチックなタイトルであるが、内容は「宇宙開発が下火になった世界で、元宇宙飛行士の57歳の男性が再び宇宙に上がるために奔走する」という「宇宙に出る以前に必要な社会や政治」を扱う非常に渋い話である。

早川書房よりも先に講談社から翻訳が出ており、こちらの邦題は「星に憑かれた男」という原題にまったく即していないものであったが、内容的にはたしかにこちらの方が正しい。しかし、原題の時点で秀逸なこのタイトルを良く変える気になったものだ。

ジェイムズ・P・ホーガン「星を継ぐもの(Inherit the Stars)」

月面で人間の死体が見つかるが年代測定で5万年前に死亡したことが判明する。当時月に行くような科学技術は存在しない。ではなぜ……というミステリ仕立ての作品。なお海外SF作品では非常に珍しいことに日本で漫画化されている。

オールタイムベストに必ず上がってくるし自分も好きな作品ではあるのだが、ネット上で見た「これを好きって言ってる奴は、好きな映画は『ショーシャンクの空に』っていう奴と同じ」というコメントが忘れられない。

番外編:邦訳が良い部門

良いタイトルの中には、原題ではシンプルなんだけど邦訳の際に気の利いたものになっていることがある。これは別枠にしてみた。

アイザック・アシモフ「銀河帝国興亡史(The Foundation Series)」

正確にはタイトルではなくシリーズに付けられた名称。foundationは財団の意味だが、本作の元ネタになっているエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』に習って付けている。このシリーズSFファンにはあまりに有名すぎて、ネット上で指摘されているのを見るまで本項のテーマにバッチリ合致していることに気づけなかった。

ジョン・ヴァーリイ「バービーはなぜ殺される(The Barbie Murders)」

人体改造が当然となった未来社会を舞台に「教義によって同一の外見を持っている集団の中で殺人が起こる。殺したのも殺されたのもバービー」という興味深い設定の作品。同タイトルを表題作とした短篇集に収録されている(記事)。

邦訳はこの興味深い設定で気を引くタイトルにしているが、現代だと「お人形殺し」みたいな意味に受け取られそうである。

エリザベス・ムーン「くらやみの速さはどれくらい(The Speed of Dark)」

2004年度のネビュラ賞長編部門受賞作品。自閉症の男性が、近未来の技術によって可能となった治療を受けるかどうかの是非を通して、自閉症と社会との関わりや、克服によって変化する自意識とアイデンティティというテーマを扱っている。なお著者ムーンの長男も自閉症であり、タイトルは実際に彼が発言した疑問が元になっている。

原題では「くらやみの速さ」であり「どれくらい」という問いかけは入っていない。この一単語が入るだけで興味を引くタイトルになっている名邦題である。

終わりに

「SFはやっぱり絵だねぇ」(by野田昌宏)なんて有名な言葉もあるが、自分は「SFはやっぱりタイトルだねぇ」と言いたい。個人的に読む動機になりやすいのだ。もっとも読むと結構がっかりすることも多いのだが……。

Sponsored Link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です