連絡をとりあう方法を、あらかじめ決めておく必要がある――人に気づかれるおそれがなく、勘ぐられないような環境の変化を利用する、とフェルトは言った。(中略)緊急に会わなければならない場合には、手摺近くに置いてある植木鉢を奥に引っ込めることに決まった。(p67)
ウォーターゲート事件の内部告発者ディープスロートの正体である当時のFBI副長官マーク・フェルトを、リーク先であったワシントンポストの記者ボブ・ウッドワードから書いたノンフィクション。
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「ウォーターゲート事件」から30年。アメリカ大統領を辞任に追い込むほどのリークをしたのは誰だったのか、ずっと謎のままでした。その情報源がこのたび名乗り出ました。なんと時のFBI副長官マーク・フェルトが大統領を裏切っていた! フェルトが死ぬまでは秘密を守り抜く覚悟でいた著者が、その告白を受けて真相を明らかにすべく本書を書き上げました。いまや「政府高官が最も取材を受けたい記者」となった著者の、新米記者時代の煩悶も窺える渾身のドキュメント。 - 文芸春秋
ボブ・ウッドワードから見たマーク・フェルトのノンフィクション。ウォーターゲート事件以前のウッドワードがフェルトと知り合いになるエピソード、ウォーターゲート事件発生とホワイトハウスとの関係性を暴くに至るまでのエピソード、そして事件から数十年経って再びウッドワードがフェルトに再会し当時のことを聞き出そうとする下りで構成されている。
世界中の人々が気になっていた、ウッドワードとフェルトの馴れ初めは簡潔にまとめると以下のようになる。ウッドワードは大学の奨学金の条件として、卒業後海軍に4年間(+ベトナム戦争の影響で1年延期)従事することになるのだが、その業務でホワイトハウスに書類を届ける際に1人の初老の男に出会う。その男がフェルトで、この時たまたま長話をする機会があったことをきっかけにプライベートでも会う仲になる。除隊後ウッドワードは地方新聞社勤務を経てワシントンポストに勤務、1972年にウォーターゲート事件が起きるとフェルトに助言を求める、といった具合である。
フェルトの回顧録とウッドワードの回想を織り交ぜて進んでいくが、こうしてウォーターゲート事件全体の概要を見てみると長年謎とされていた「なぜディープ・スロートは内部告発に踏み切ったのか」には割とはっきりとした動機があったように思われる。本事件はざっくり言ってしまえば、約50年もFBI長官を勤めていたフーバー長官の死を契機にホワイトハウスがFBIを支配しようとする動きがあったがために起きた組織間の対立の一端である。フーバーの後任にホワイトハウスの息がかかったパトリック・グレイをFBI長官に据えるような露骨な仕掛け方をしてくるし、ニクソンと補佐官ホールドマンはフェルトがワシントンポストに情報を流している事実を掴んでいて、それに関する会話を秘密録音テープに記録されている(p90)。そんな状態でも約30年に渡って正体が秘匿されてきたというのは、なかなか不思議である。
後年から見ると滑稽であったり意外であったりする描写も多い。FBIから情報が洩れている疑いが起き、ニクソンの法律顧問であったジョン・ディーンがそれを防ぐようにフェルトを叱責するが叱責している相手がリークしてる本人(p64)とか、ウォーターゲート事件の告発が相次ぐ中でフェルトがFBIを辞任してる(p106)とか、ディープ・スロートという綽名はワシントン・ポスト内の内輪での呼称で『大統領の陰謀』(記事)でその名前を使われることで初めて世間にそれが知られた(p115)とか、なかなか面白い。
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後半に登場するフェルトがFBI時代の越権行為で起訴される場面は個人的な本書の白眉である。フェルトはFBI時代、過激なテロ組織ウェザー・アンダーグラウンドに対し違法と見なされても仕方のないような過剰な捜査を行った為に越権行為として起訴される。そこで大陪審が開廷して状況をよく知る人物が証言台に立って発言するのだが、なんとその人物がリチャード・ニクソン元大統領その人なのである。要約すると「国家の安全保障が脅かされている緊急事態において、こういった行為は合法と見なされる」という論旨の発言をするのだが、ウッドワードが指摘するように「まさにそういう姿勢のために、ウォーターゲート事件では窮地に追い込まれた(p145)」し、弁護をしているフェルトはその部分を突くことで自身を失脚させた張本人。「フェルトがディープ・スロートであることを知っているのは、その場においてニクソンとフェルト本人だけ」という事実も踏まえてもうクラクラきてしまった。大陪審後、ウッドワードがお悔やみの電話を入れたら「社説で非難したワシントン・ポストよりもニクソンの方がずっと力になってくれた」と発言する下りも加えて唸ってしまう。これ以上の皮肉ってあるんだろうか。
2人の交友はウォーターゲート事件を境に途切れてしまい、疎遠になったフェルトをウッドワードが訪ねるのは2000年ごろになるのだが、その時点でフェルトは認知症を発症しており、当時あれだけ心身を砕いていたことに対しての記憶もところどころ抜け落ちていた。本人の口からはっきりとこうだったという意見を聞く機会はこれで失われてしまったわけである。
フェルトの娘ジョーンと家族の弁護士によって「ディープスロートの正体がかつてFBI副長官であったマーク・フェルトである」ことが2005年に発表されるところでウッドワードの文章は終了しているが、その後「一記者による分析」というタイトルでウッドワードのかつての相棒カール・バーンスタインが一筆したためている。事件当時どのようであったかを振り返り、ワシントンポストがジョーンの発表を肯定する声明を出すエピソードで本書は完結する。
われわれの声明は次のようなものである。「W・マーク・フェルトはディープ・スロートであり、ウォーターゲート事件取材の際に計り知れないほど力になってくれた。しかしながら、その成果が物語っているように、《ワシントン・ポスト》の数百に及ぶ記事を書くにあたっては、他の多くの情報源や政府高官が、われわれをはじめとする記者を支えてくれたのである。(p233)
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