シリーズ再スタートを契機として描かれた『バットマンの最終回』で、原題は『Batman: Whatever Happened to the Caped Crusader?』。もっとも長い歴史を持つヒーローの一人であるバットマンにふさわしい最終回として、幻想文学作家としても著名なニール・ゲイマンが出した答えとは?
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前置き
私はSFファンなのでニール・ゲイマンは『アメリカン・ゴッズ』(SFの著名な賞となるヒューゴー賞、ネビュラ賞をはじめとして数々の受賞をした作品)の方で知っていた。幻想文学作家のイメージがあるけど、アメコミのライターでもあるんだよね。超有名な『サンドマン』シリーズが気になりつつ全く読めてない……。
本書はアラン・ムーアが手がけたスーパーマンの最終回『スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード(Whatever Happened to the Man of Tomorrow?)』を前身としている。1986年にスーパーマンの新シリーズに備えてアクションコミックスとスーパーマン個人誌が一端休刊するに当たって掲載されたのが、その『スーパーマンの最終回』。今度は2009年にディテクティブコミックスとバットマン個人誌が再スタートするに当たって、同じように『バットマンの最終回』が掲載されたのである。……しかし「今度は」って書いたけど23年も経ってる。アメコミ歴史長すぎてパスがロング過ぎるな。
ブックレットによると、『アラン・ムーアとニール・ゲイマンは無二の親友で、師弟関係と呼んでもいいほどの間柄である』そうだ。これ読んだとき「アラン・ムーアって友達居るの!?」って驚いた。ムーアって自分以外全員馬鹿だと思ってそうだけどな……。調べてみるとそもそもジャーナリスト時代にムーアと知り合ってコミックライターの道に入ったらしい。本当に師弟だ。
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感想
バットマンの葬式に参列した関係者たちがバットマンがどのようにして亡くなったのかを語っていくがそれぞれの話はまったく整合性が無くバラバラ。芥川龍之介の『藪の中』のような話ではなく、それぞれが真実なのだ。なぜならバットマンはヒーローとして死んでは再びヒーローとして産まれ、数多の活躍をするのだから……といった、メタ的視点を多分に含んだ作品。
バットマンは永遠に戦うヒーローであるから、そのラストはバットマンというシステムを俯瞰する終わり方しか有り得ない、というわけである。○○バースとかアース××だとか言いながら延々と続いていくアメコミらしさとも言えるし、幻想作家らしい観念的な締めであるとも言える。
個人的にはマイクル・ムアコックのエターナル・チャンピオンをどこか連想させたのだが、調べてみると実際影響を受けた作家の一人にムアコックをあげているらしい。ちなみに一番影響を受けたのはロジャー・ゼラズニイだとか。神格化されたキャラクターみたいなテイストは似てるかも。
終わってみると、バットマン誕生の引き金になったジョー・チル(ブルースの両親を殺した人)が葬式会場への案内人を務めているのも意味深である。ブルース・ウェインの岐路に立つのはこの人しか有り得ないのかもね。
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