第87回アカデミー賞最多受賞作品。カメラがずっと長回しされている究極のワンカット映像が話題となった。
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かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、落ちぶれた今、自分が脚色を手掛けた舞台「愛について語るときに我々の語ること」に再起を懸けていた。しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイク・シャイナー(エドワード・ノートン)の才能がリーガンを追い込む。さらに娘サム(エマ・ストーン)との不仲に苦しみ、リーガンは舞台の役柄に自分自身を投影し始め……。 - シネマトゥデイ
この映画の特徴はなんといっても究極の長回しのカメラワークである。終盤一回場面が切り替わるところがあるがそれを除くとずっとカメラが途切れずに回っているという凄い映像になっている。調べたら、以下のように作成しているらしい。
その長回しのショット群は、イニャリトゥ監督がすべての瞬間、すべての段階で、俳優の顔の向きや動作さえも事前に決めて1発勝負で撮影するという方法で実現している。実際のワンカットは数分間、ものによっては10分以上のカットもあるだろう。これらの長いカットを編集で切れ目のないよう巧みにつなぎ、全編がワンカットの(ような)映画が出来上がったのだ。 - 映画.com
脱帽である。これ見ただけでこの映画を見た価値があったと思う。全裸でうろつくエドワート・ノートンのチ○コを上手く障害物で隠した画も含めてワンカット。「カメラワークがもたらす意図した奇跡」で隠されている。
もっともこういう制約を入れたことで、当然ながら表現できる内容にも制約がかかっているというか話自体は割と退屈な感じだった。終盤主人公の内なる声の顕在ともいえるバードマンが「大衆が好むのは派手な話だけさ」的なことを(メタ的に言えば画面を見る視聴者に向かって)いうんだけど、その通りだなぁと。
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娘のサムが窓の外を見上げて終わる話のオチの解釈は色々あるらしい。劇中のバードマンが起こす超常現象が、実際には主人公の心象風景だった(タクシーの運転手の反応で描写するの上手いやり方だったな)ことを考えると、物理的な浮きあがりを意味しているのではないんじゃないかな、という気がするがどうだろう。
ところで作中の演劇はこれを基にしているらしいが、カーヴァーは日常的な内容を脚色せずに淡々と描くみたいな作風らしく、これを演劇にすること自体が狂気の沙汰らしい。これだけでなく全編に分かってブラックユーモアに溢れているようだが、主人公役のマイケル・キートンが元バットマン役やってたぐらいしか分からなかったなぁ……。
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