映画化もされたアメコミ。超自然的現象が存在しない現代世界で普通の少年がヒーローをやろうとするという内容で、過激なバイオレンス描写が目立つ。
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ずっとナイーブな作品だと想像していたのだが、予想よりずっと俗な志向の作品だった。魔法や超能力がまったくない現実と同条件の世界でヒーローにあこがれる少年がコスチュームに身を包んでクライムファイトをしようとするが……、みたいなところまでは知っていたのだが、理想は叶わず辛酸を舐め……みたいな感じだと思っていたのである。全然そんなことなかった。ちなみに私はアメコミは数えるほどしか読んだことの無い人間である。
主人公のデイヴもあんまりヒーローに憧れるオタクという感じでもない(実際冒頭で重度のオタクってほどでもないと自分で言っている)。なんというか私が考える「ヒーローにあこがれるオタクのイメージ」って、映画のタクシードライバーでデ・ニーロが付けていたスリーブガン(長袖の中に銃を隠すための細工)とかを作るヤツなんだよな。あるいはネット上で電脳戦仕掛けるとか、科学、情報的な何らかの尖った専門があるヤツ。デイヴ君はもう全然これに当てはまらない。
動機(目的じゃなくて動機)が功名心なので、有名になったぞ!とヤベえもう辞める!の間を状況によって行ったり来たりする。動画がYoutubeに上げられたりMy SpaceのKick Assアカウントのフレンドが増えたりといったことでデイヴは大興奮するわけだ。やっぱりこういうところもヒーローって感じがしない。清廉潔白でなければヒーローじゃないのかよ、と言われそうだがそうではなくて、ヒーローに憧れる奴ってもっと「世間には理解されないけど正しいことをしているオレ」とか考えてるはずだと思うのだ。
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ヒーロー関連の無双・妄想をして……というのは漫画やゲームで育った人間がおそらく一人残らず全員やっていることである。少なくとも私はそうだ。だからこそ読んでて思うのだが、この作品のバイオレンス要素って過激な描写で読者を引き付けるためじゃなくて、そういう風に描くしかなかったからこういう形になってるだけじゃないのかという気がする。
何故って主人公がサクセス・ストーリーを為すためには「主人公が解決できる社会の問題がある」とか「主人公に強烈な動機になりうる過去がある」とかでないと普通は成立しないのである。これを現実世界でその辺の少年が……ってやったらギャングとかの悪い奴を殺す、みたいなことをするしかない。実際そういう内容になっている。
そうして最後に迎えた内容はなかなか空しい結末であった。しかし最後に出てくるモブが、冒頭でこれからを暗示するようなことをしていた、という書き方はさすが人気アメコミというか上手い書き方だなぁ。
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