SF作家ブライアン・オールディスがワイドスクリーン・バロックと名付けたSFジャンルのまさしく代表作。1953年刊行だが日本では2019年になるまで邦訳されていなかったため、長く幻の名作のような扱いとされていた。
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前置き
時は2177年。舞台はアメリカ帝国。
物語はひとりの男が権力者の寝室に忍びこむところから始まる。その男こそが<盗賊>アラール。記憶を失くし、名前を失くし、不時着した正体不明の宇宙船より現れた男。権力を一手に握った、悪しきアメリカ帝国宰相ヘイズ=ゴーントを討つ力を持った、唯一の男。
帝国警察に追われる中、ケイリスという女性と遭いしアラールは、彼女に命を救われる。はじめて逢うにも関わらず記憶を揺さぶられ、その理由根拠は一切不明。この時を境にアラールを中心として宇宙は回りだす。
謎多き宇宙船トインビー22、全知全能の男メガネット・マインド、ヘイズ=ゴーントとの対峙、フェンシングによる決闘……時間は縮み空間は歪む。
複雑怪奇にして不羈奔放(ふきほんぽう)の物語。これが!ワイドスクリーン・バロックだ!! - 竹書房
6月初頭から放映しているアニメ映画「劇場版スタァライト」に『ワイルドスクリーン・バロック』(と称したレズセックス)なる概念が登場し、元ネタとなるSFジャンルの『ワイドスクリーン・バロック』の話題を聞く機会が出てきた。その過程で本作の名前を聞くことになるわけだが、『ワイドスクリーン・バロック』をアルフレッド・ベスターやA・E・ヴァン・ヴォークト等の著作で知っているつもりだったのに読んだこと無かったので「読んだこと無いぞ……?」と戸惑った。
本書は1953年刊、2019年初邦訳。原書が第二次世界大戦終結から7年しか経っていない時期に発行されたにもかかわらず、邦訳されたのは最近だ。そういうわけで「自分がSF小説読破に明け暮れていたあの時期には邦訳無かったのか……」と得心したわけである。なお邦訳はSF邦訳出版の2巨頭となる早川書房でも東京創元社でもなく竹書房から。色んな意味で異色の作品だ。
感想
「プロットは精妙で、たいてい途方もない。登場人物は名前が短く、寿命も短い。可能なことと同じくらい易々と不可能なことをやってのける。それらはバロックの辞書的な定義にしたがう。つまり、すばらしい文体よりはむしろ大胆で生き生きとした文体をそなえ、風変わりで、ときにはやり過ぎなところまで爛熟する。ワイドスクリーンを好み、宇宙旅行と、できれば時間旅行を小道具としてそなえており、舞台として、すくなくとも太陽系ひとつくらいは丸ごと使う」 - ブライアン・W・オールディス
解説にあるとおり、オールディスによるワイドスクリーン・バロック作品の定義はこのような感じ。なのであるが、実際読んでみると正直そんな話だったかな?という気もする。「少なくとも太陽系一つくらいはまるごと使う」らしいが、自分が読み間違えていなければ地球→月面都市→太陽近傍のエネルギー施設(ソラリオン)へ行っただけで太陽系の他の惑星とかには多分行ってないよね?
どっちかって言うと時間軸上での動きが作品の軸となっているネタで『人類文明の変革』がテーマの話と感じた。p196で説明されているトインビー22が現在の文明トインビー21の次の文明で、ラストでそうなったらしい。オチの原人の知性に影響を及ぼして歴史が変わりました、ってあたりは『2001年宇宙の旅』のモノリスを想起させる。あと「種がなんとかかんとか」ってのを見ると『デス・ストランディング』でやってた絶滅がなんとかって言うのを思い出す。
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基本的にはA・E・ヴァン・ヴォークトの作品っぽい。実際、解説によるとハーネス自身が影響を受けていると発言しているようだ。「活劇」としての印象が強く、主人公にピンチがどんどんやってくるタイプの話。主人公のアラールさん、しょっちゅう気を失って場面転換する。
スクリーンの概念が出てくるので「あー、50年代くらいの作品だなぁ」ってなる。『フォースフィールドで銃弾を弾くアーマー』があるので、レイピアで戦う決闘が復活した世界観。完全にガンダムにおける「ミノフスキー粒子で近接戦闘が余儀なくされる」の扱いだ。まぁそれにしては毒矢が出てきてネームドキャラがめっちゃアッサリ死ぬシーンとか有るんだけど。
そんな本作、1953年アメリカ刊行時はあまり評価されず、1964年頃のイギリスでニューウェーブ運動の流れで『発掘』されることになる。そこからハードカバーで刊行された際オールディスが寄せた序文のなかに上記で引用した有名なワイドスクリーン・バロックの定義文が掲載されていた、と言うわけである。ちなみに
私自身の好みは、ハーネスの『パラドックス・メン』である。この長編は、十億年の宴のクライマックスと見なしうるかもしれない。それは時間と空間を手玉にとり、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛び回る。機知に富み、深遠であると同時に軽薄なこの小説は、模倣者の大軍がとうてい模倣できないほど手ごわい代物であることを実証した。この長編のイギリス版の序文で、私はそれを《ワイドスクリーン・バロック》と呼んだ
こっちの文章も有名だが、これはオールディスの『十億年の宴』に掲載されている。
このように巻末解説は幻の名作状態だった本作かがどのように受け継がれてきたかを詳しく書いてくれている。一方で内容についてはあえて触れないようにしているが、普通に内容の解説も欲しいなぁ。自分が読み取れていないところになんかネタがありそうだ。
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