宝石の国 – 市川春子

フォスフォフィライト
おまえの仕事がやっと決まったよ

鬼!悪魔!市川春子!月刊アフタヌーンが発売する度に読者の「これ以上酷い展開にはならないだろう」という希望を打ち砕き、苦しみの底を毎月更新し続ける地獄のボジョレー・ヌーボー。主人公フォスフォフィライトを襲う余りにも非情な展開の数々で、曇らせ隊からすらも笑顔が消えた。

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強くてもろくて美しい、 戦う宝石たちの物語。

今から遠い未来、僕らは「宝石」になった。
彼ら28人は、襲い掛かる月人に備えるべく、戦闘や医療などそれぞれの持ち場についていた。
月人と戦うことを望みながら、何も役割を与えられていなかったフォスは、宝石たちを束ねる金剛先生から博物誌を編むように頼まれる。
漫画界で最も美しい才能が描く、戦う宝石たちの物語。 - 講談社

元々アニメ版だけ見ていてその範囲だけ知っていたのだが、本作の話題になる度に原作を追っている読者から漏れる苦悶と叫びが曇らせ隊として気になっていた。そこで今回無期限休載になったということでいいタイミングだと思い一気読みした。阿鼻叫喚だった先輩読者に心境が追いついて、今心底震えている。

お話なんてもう全部のパターンやり尽くされてるし、誰が言ったか物語の類型は聖書とシェイクスピアで出尽くしたなんて言われているが、本作に似た作品を教えてと言われてもとても思いつかない。強烈な個性を持った無二の作品だと思う。読後感とかは手塚治虫の『火の鳥』が近いなって思うけど、モチーフとなる仏教的な無常観に共通するところがあるんだろうか。

地上で生活する7巻までと、月に行ってからの8巻以降で大分毛色の違う作品である。7巻までは著者の「欠損に対する並々ならぬフェティシズム」に注目が集まる話だったと思う。この欠損の描写は本当になんと言っていいんだろうな……。痛みを描くワケではない(ワケではないというか描かないし、無くなったこと自体は精神的にもノーダメージに見える)のでリョナとも違う。常人には計り知れないこの辺のこだわり、いつか『鬼滅の刃』の吾峠呼世晴先生と「緊急対談!人体欠損に痛覚は必要か?」みたいな対談して欲しい(←無茶言うな)。

この辺の「身体性の捉え方どうなってるんだよ!?」と言いたくなる描写は、今から思い返すと本作の随所に感じる「血の通っていない生物の物語」という手触りのスタートだったように感じる。本質的にはそういうものだったのに「欠損部分を置き換えてパワーアップする」っていう創作作品の王道展開への昇華であるようにミスリードされていたんじゃないだろうか。

そこから頭部丸ごと無くなったからラピスラズリの頭に挿げ替えようってなって、あんまりな展開に膝から崩れ落ちた。グレッグ・イーガンのアイデンティティテーマだよこれ……。よく考えると最初から宝石人全員「イーガンしようや……」だった気もする。そこから気軽に約一世紀経過するし、本作がどういう作品なのかの片鱗が現れ始める。そして一方で置き換えている部分の対象が順調に七宝(参考:七宝 - Wikipedia)を形成していた事実にも頭を抱えるのである。

で、月に行ってからは……。なんだろう。「市川先生の欠損フェチ、ヤベェよな(笑)」とキャッキャしていたファンたちから笑顔が消えるような壮絶な物語になる。

そういうわけで世の読者がどう思っているのか、ウェブ上の感想を読んだりするのだが「誰それが悪い」と言う意見にはどうにも承服しかねる。なんというか、そんな単純な話じゃなくない?だからこそ酷いと思うんだけど。分かりやすい悪役を挙げたらエクメアとコンちゃんなんだけど、(最終回までなんとも言えないとはいえ)閻魔も金剛も結局のところ「救世主を待つしか無い無力な存在」と言えばその通りなので。

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フォスフォフィライトが自業自得的な評価をされるのもどうにも納得いかない。あれほど苦しんでのたうち回る彼(彼女?)をどうして責められようか……。月に行ってからは苦渋の選択を何度も何度も強いられて本当に可哀想だ。アドミラビリスに「貝殻欲しいって言ったらくれる?」って言ったら小さい子が自分の貝殻無理矢理はずそうとしてくれるシーンとか「無理無理無理無理無理無理!」ってなる。

宝石人たちが社会を形成しているところから始まるから騙されるんだけど、宝石人って人間が思うところの社会性は基本的に無くて金剛の指導の元でああなってるだけなんだよな。相方以外の宝石に対して案外無関心というか無情だったりする。(作中で言われるところの)『人間』になり得る人格を持っている存在が限られているから、「あこがれは、止められねえんだ」ばりに行動的で能動的なポジポジファイト君という例外が希少なチャンスだったのはよく分かる。他はコンちゃんのこと怪しいと思いつつなんもしないもんなぁ……。

ゴーストの影響化から外れたカンゴームの豹変は「信じて連れてきたヤレヤレ系バディが黒ギャルNTR堕ちさせられるなんて……」と確かにショックだった。だがチラホラ見えていた宝石人の本質の露呈と同時に、アイデンティティの保持が強く働くフォスの特異体質で今まではぼかされていた「精神が身体に引っ張られる」というテーマの合わせ技をお出しされて「俺たちは春子の手の平の上なんや」とつくづく思った。身勝手だとは分かっていても「なんだかんだでフォスの味方をしてくれる苦労性の相棒」というキャラであって欲しかった、という読者の気持ちを見事に弄ばれている。そして一方で、読者から非難囂々とも言えるカンゴームだけが「フォスに対して本当に対等に接していた宝石人」だったのでは?とも思えるのがツラい。

返すも返すも本当にフォスフォフィライト曇らせ漫画なんだなぁ。作者の曇らせ対象となるキャラクターって『進撃の巨人』のライナーとか『僕のヒーローアカデミア』のエンデヴァーとかは完全にシコ対象という感じなのだが、ポジポジファイト君でファイトはちょっと出来ない……。女性作家らしい容赦の無さが為せる悲惨さがそうさせていると思う。

男性作家だと愉悦してるなと感じるんだけど、女性作家は作中キャラのメンタルと本人のメンタルが切り離されているように感じるんだよな。時々「女性にとってもっとも受け入れがたいのは『自身の加害性の自覚』なのでは?」と思うことがあるのだが、月に行ってからのフォスが加害性のある選択肢を何度も突きつけられるのを見るにつけ、適格な場所にメスを入れていく市川春子という作家に震え上がるほかないのであった。

そんな非情の極みに現在もついて行ってる読者はポジポジファイト君がどこまで堕ちていくのか見届ける使命感のようなもので読んでいるところがあると思う。本当に凄いマンガだ。私も先が読みたいのだけれど、冒頭で書いたとおり作中の兵役に対応するかのように無期限の休載に入ってしまった。

フォスフォフィライト
おまえの仕事がやっと決まったよ

春子……1万年の苦しみを放置しながらプレイするPS5は楽しいか……?(血涙)

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