螺旋のエンペロイダー Spin4 – 上遠野浩平

ブギーポップ・シリーズ(だけってわけでもないが)のスピンオフ連載小説第三弾「螺旋のエンペロイダー」の完結巻。『ビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』と同様に全4巻での終了となる。

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最初から虚空牙がらみの話だったので当然と言えば当然であるが、ブギーポップよりずっと未来の話に関わることが多い。

枢機王がらみで「実はこうだったのだ」っていう設定が二転三転するので結局どれが本当なのか分からないが、端末の一つに過ぎなかった流刃の発言が正しいなら

  • 枢機王は肉体を適宜変えながら長い年月を生きている。
  • 虚空牙という名前は枢機王が作った。
  • 虚空牙の脅威を認識しそこから自分を守るために、エンペロイダーの概念を作成し、統和機構を作って誘導して能力者を大量に増やした。
  • しかし彼が天敵波動と呼ぶものは、虚空牙に対する人類の反射を見ているに過ぎなかった。
  • ホワイター・シェイドのようにMPLSの枠を外れて、奇蹟使いの枠組みに入る人間が現れ始めている。

ってところか。1998年発表の『ブギーポップ・リターンズ』で初めて出てきた統和機構が、2000年発表の『冥王と獣のダンス』で名前だけ登場した枢機王に作られたうえ長い年月操られていたことが分かるのが、2017年(連載掲載自体は2016年かな)発表のこの作品とは、ずいぶん長い旅路である。ファンでも遠い目になるが、まったく知らない人から見たら狂気の沙汰だろう。

本物(と言ってもこれも端末なんだろうけど)の枢機王だった拝原のチケット・トゥ・ライドと、偽物だった流刃のマジカル・ミステリー・ツアーってどっちもビートルズ繋がりなんだなぁ……と思っていたが、反町碧のストレート・ノー・チェイサーはセロニアス・モンクなんだよな。単なる偶然か。

これでエンペロイダーシリーズも終了である。能力者だけが集められた学校で主人公は達観したやれやれ系というライトノベルど真ん中の設定で始まったのに、結局イマイチその状況のうま味が感じられなかった感がある。

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互いに蹴落としあう関係なんだからしょうがないのかもしれないが、わざわざ炎上先生から今風の絵柄の絵師に変えてもらったんだし、もっとキャラクタービジネスしてもよかったのに。もうちょっとキャラ同士の関係書いてもいいのになぁ。なので終盤の虚宇介と迅八郎がびっくりするくらいキテたのは意外だった。こういうのもうちょっと見たかったな……。

なおエンペロイダーについてはあとがきで

もちろんエンペロイダーというのは筆者の造語なのだが、その意味は自分でも明確ではない。僕には人間というのは結局、何を支配したいのだろうという疑問がずっとあって、エンペラー、つまり皇帝という名称はここでは〝支配する者の究極〟という程度の印象で使っている。現実の歴史上の皇帝は色々と大変だったり苦労ばかりが多かったりするので、正直全然羨ましくなれないのだが、神というと超越しすぎていて人間から遠いので、じゃあ皇帝、って感じである。もっと漠然と、単に最高に幸せでなんの不満もない状態の人間のイメージだと思ってもらってもかまわない。不満のない人間はその精神世界の中では、皇帝も同然だろう、という──。

このように書かれている。言ってみればこれだけのことによくもまぁあれだけ多数のキャラにそれぞれの解釈を話させたものだ。しかしその後に書かれている

人がしばしば〝つい意地になって〟〝心にもないこと〟を色々としてしまうのは、そっちの方も歴然とした欲望だからだとしか思えない。何かをしたいと人が思うとき、必ず、それだけはしたくないという反撥が逆側にあって、互いに引っ張り合っている。

っていうのになにか感心した。上遠野先生ってやっぱり本編よりもこういうエッセイ調のものにセンスを感じるのだが、こういうところがすごい霧間誠一なんだよな……。

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