女性同士の性愛というセクシュアリティを扱った小説。発表当時は玄人受けというか一部で注目を浴びるに至るだけだったが、その後評価が高まったのか2回映画化されている。
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私は百合ファンの端くれなのだが、大真面目に女性の同性愛を扱った作品も読んでみるかという、その界隈には失礼な理由で読んだ。のっけから生理の血の処理から始まる生々しい話で、セックスシーンも当然出てくるのだが、なんでこんなにと言いたくなるくらい暴力振るうシーンが出てくる。
全然どうでもよいのだがメインキャラに花世って名前で、この名前見るとどうしてもラブライブ!の花陽が思い浮かぶのだが、話はドロドロだしまるで正反対の性格をしてるので凄い違和感あった(ちなみに脇役で園田ってキャラも出てくる)。
このタイトルはキャロル・キングが作ってアレサ・フランクリンが歌ったA Natural Womanから来ているそうだが、シンガーソングライターブーム時代の名盤とされる「つづれおり(Tapestry)」に収録されているのしか聴いたことが無いので個人的にアレサの曲って認識が無かった。
解説読んで初めて気づいたが、花世の漫画が黒人解放運動という「本人たちが規定したアイデンティティの承諾と求める内容」であった(同人誌なのにすげえテーマだ)のに対して、容子が人間の子供にトカゲみたいなのが産まれたけど周りが許容して普通に暮らしました、という「人間というアイデンティティにすら縛られていていない」自由な発想の物語であったという対比がある。そこに黒人→アレサ→ナチュラル・ウーマンって感じで繋がりをもたせているんだな。
そうなると白人のキングだとちょっとぶれちゃうみたいなところあるのかもしれない。あんなに傍若無人に振舞っていた花世が実は自分の性に対してそう感じていて、容子は別にそう感じていなかったって言うのは、作中で花世と夕記子が暴力を振るわれているがこの場を支配しているのは容子だという発言に通じている気がする。SMで場を支配しているのはMの方みたいな。
「私、あなたを抱きしめた時、生まれて初めて自分が女だと感じたの。男と寝てもそんな風に思ったことは無かったのに。」 (p159)
解説や裏表紙にも引用されているこの発言はこの作品の重要な発言である。同性愛者でも男性役・女性役のような役割を無自覚に片方ずつに分けてしまうカップルは多いらしいが、タチネコでいうのならタチ側であったであろう花世が相手が女であっても自分を女と規定できるっていうのは表題のナチュラル・ウーマンに絡んでいて興味深い。著者の意図がどうだったのか何とも言えないが。
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