伊藤計劃作品劇場アニメ化プロジェクトの第二弾。健康重視が極端に進んだ未来の社会を舞台としたSF作品を映像化した。
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原作は何年か前に既読、同プロジェクト第一弾の屍者の帝国は視聴済み(記事)である。
ストーリー
医療と通信の技術が現代よりも発達しており、誰もがウォッチミーという機械を体内に装着し常時健康をチェックし続けている時代の物語。ウォッチミーはサーバーに接続されている為、このチェックは自分自身ではなくサーバーでも監視され共有されている。加えて現代の人間が個人情報として秘匿しているような情報の多くが公開・共有されているという、視聴者からすると異様な世界である。
主人公のトァンは学生時代、ウォッチミー社会に抵抗しようとする少女ミァハと共に集団自殺を図ったが自分は生き残ってしまったという過去を持つ。WHOの監察官になった今もその抵抗感情は続いていたが、あるとき世界各地での同時集団自殺という大事件が起こり、その調査を進めるうちに犯人像に死んだはずのミァハが浮かび上がってくる……という話。
映像
屍者の帝国に比べるとストーリーの改変はあんまりないのだが、見ているとむしろ台詞を中心に全体的に上手く削ればいいのにという気持ちになってしまう。原作は小説だから説明的な長台詞でも違和感はないが、これをそのまま映像でやってしまっているので凄い冗長なのである。3DのCGなのをいいことに、ぐるぐる回ったりするシーンが結構あるが実写映画のそれと比べると「時間稼いでるという以外、全然印象に残るものが無いなぁ」という感じになってしまう。これのおかげで結構眠かった……。
実際扱っているテーマ的に映像化が難しいジャンルなのである。人間の意識という抽象的なものを扱う内容にどれくらいビジュアル化が効果的なのかは何とも言えない。この世界ってこういう感じなんだなぁ、とは思ったがビルがボンレスハムみたいに縛られてたのはなんだったんだろう……。
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少なくともラストシーンでは印象的な扱い方をしてほしかったんだよなぁ。全人類が幸せに生活をしているというシーンを映して「でも実は彼らにはもう意識が無くて自分で選択するということもありません」という衝撃的な結末を何かで表現してほしかった。BGM的に終末的な演出だったけど、それじゃ駄目というか「視聴者に強烈な拒否感を抱かせるハッピーエンド」というSFならではの皮肉と矛盾に満ちたエンディングを表現して欲しかったのだが……。
余談:百合要素
屍者の帝国がBL的な要素が加わっていたのに対して、こちらでは百合的な要素が加わっている。原作では読者がそういう想像もできるというくらいで特別そういうシーンも無かったのだが、映像化に関して結構露骨に表現されている。ちょっとやり過ぎかなぁという印象である。
私は百合クラスタの人間ではないのだが、その界隈の人なら喜ぶのかと言ったらそうでもないんじゃないだろうか。ミァハが(実際には生きていたがトァン視点では)死んだにも拘らず、ウォッチミー社会への懐疑というしこりをトァンの中に残していった、みたいな部分に「おっ……!?」となるのが通というか……。
トァンがミァハに「愛してる」って直接言っちゃうのはやっぱり違うんじゃないかな。むしろ「ミァハのことは受け入れられない!」とか言ったにも拘らず、ハーモニープログラムが入った後には受け入れていて、「自分の自意識が邪魔をしない世界になってようやく二人の精神は結ばれたのでした」とかにすれば「尊い……」とか言われたかもしれないのに。
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