H・P・ラヴクラフト『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』

2019年発行。クトゥルー神話で知られるH・P・ラヴクラフトの代表的作品7作を収録している。ラヴクラフト作品の邦訳は大体古くなっているので、最新の翻訳で読めるのも魅力的だ。

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作品紹介

ラヴクラフトは不遇のままその生涯を閉じた。だが、彼の創造したクトゥルー神話は没後高く評価され、時代を越えて世界の読者を虜にしている――。頽廃した港町インスマスを訪れた私は、魚類を思わせる人々の容貌の恐るべき秘密を知る(表題作)。漂流船で唯一生き残った男が握りしめていた奇怪な石像とは(「クトゥルーの呼び声」)。英文学者にして小説家、南條竹則が選び抜いた、七篇の傑作小説。 - 新潮社

前置き

どこかで「クトゥルー神話を履修するなら、まず最初に読むのはこれ」と言われていた一冊。クトゥルー神話はオタクなら一度は履修したいジャンルである。人生のどこかで必ず会うんだし。なので昔、東京創元社から出ている全集を買ったのだが、買って読まないままここまで来てしまった。

しかしタイトルだけは聞いたことのある作品目白押しで観光みたいである。ホラージャンルのみならずあらゆる創作に現れる、織田信長ばりのフリー素材となっているわけだが、ようやく履修というわけだ。

感想

異次元の色彩

クトゥルー神話お馴染みの神は出てこず、隕石の調査で中から出てきた『ガス状の何者か』の恐怖を描いた作品。隕石の落ちた農場一家とその周辺に徐々に異変が起きていき、そして調査に入った者達が見たものとは……という感じ。

オチの部分がなかなか怖い。そこまでは「最初と最後くらいにしか出てこない水質調査に来た「私」はなんだったんだよ、これだと実質アミが主人公だろ」って感じなのだが、彼の視点を入れることでこの先を予感させる終わりになっているんだな。

ダンウィッチの怪

明らかに『人間じゃない何か』の血を引くウィルバーの死と共に、謎の怪物がダンウィッチに跋扈する。ウィルバーの遺品を解読して脅威が迫っていることを知ったアーミティッジらがダンウィッチを訪れると、既に目に見えない謎の怪物が被害を出していた。

なんか特撮映画みたいだ。なので噴射機使ってバトルっぽい要素が出るかと思ったら自滅みたいに消えた。まぁホラーだと倒さないか。ヨグ・ソトホートの名前が出るけど、外界から地球に来る過程で名前を呼ばれるだけで本人(本柱?)が出るわけではなく、出てくる怪物はあくまで『ダンウィッチの怪(物)』だ。名前付いてたら色んな作品に出てたんだろうねぇ。前回に引き続き「不可視で体表面が粘ついていて歩いた後に居た痕跡を残すので本人登場前に怖さを煽る」というホラーの為みたいな設定してる。

ツッコミ入れるのも野暮なんだけど、双子なのに片方が父親似ってなんだろうね?外界から輸入するコズミックな生き物だと、卵(らん)由来ではない要素もあるってことか。

クトゥルーの呼び声

おんなじタイトルのゲーム(今調べたら、原題が「The Call of Cthulhu」でゲームのほうはTheがついていないようだ)もあるくらいの超有名タイトルである。

大叔父の死に不審を感じた主人公が遺品を調べていった結果、各地に奇妙な夢を見る人間が現れ始めたことを彼が調査していたことを知る。人類の誕生よりも先に地球にやってきて深い海の底から夢を通じて人間に呼びかけるクトゥルーと、それを信奉する集団の存在を知った主人公は調査の末、同じことを知った人間が次々に消されていることに気付き、おそらく自分も例外ではないことを悟るのだった、という感じの話。

ぼかして書くのがホラーの華であるがゆえに普段は書かれない大枠の部分(クトゥルーとそのしもべ)が明らかになる作品で、「クトゥルー神話」という名前もまぁ付きますわなという感じである。

ヨハンセンの手記の中での描写とはいえ、「船をクトゥルーにぶつけて、のたうってる隙に全速力で逃げたら逃げ切れました」は結構凄いな。こういうモンスターって物理効かなそうなんだけど、バトルものの漫画だったら倒せそうだ。

ニャルラトホテプ

「ペルソナ2ではタッちゃんにエラいことしてくれたのうワレ!」という感じで読み始めたのだが、凄い短い。6ページしかない。そういうわけであんまし書くこともないというか……。

解説によると、ラヴクラフトは子供の頃から生々しい悪夢をよく見ていて、それを素材にした散文詩ということらしい。確かに脈絡が無いけどそのまま進む感じは夢っぽい。クトゥルーの交信方法(夢にイメージとして現れる)といい、夢はクトゥルー神話全体のイメージの源泉なんだな。

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闇にささやくもの

ヴァーモント州で見つかった謎の生物の遺体をきっかけに、民俗学者のエイクリーなる人物と文通する関係になった主人公。送られてくる文面の内容が徐々に誇大妄想とも言える様相を呈した後、エイクリーからの誘いで主人公は彼の邸宅を訪れる。主人公がそこで見たものとは……という感じの内容。

他の作品同様、一人称作品で主人公視点で見たことしか分からないことで色々なことをぼやかしている。そういうわけで邸宅内での描写は匂わせばっかりで自分にはよく分からずオチの部分も「これで解釈いいんだろうか」と自信ない。要はエイクリーはとっくに殺されていて、では主人公がエイクリーだと思って会話していたものは……?って話だよね、多分。

作中に登場する地球外知性体の故郷らしいユッグゴトフが(主人公の見立てに寄ればだが)冥王星らしいとされていて結構唖然とした。まだ月面着陸も達成していない時期の作品だから、現代人とは神秘性が違うんだろうか。冥王星って2006年に惑星の基準から外れて、今となってはもう太陽系の惑星でもないしね。

その辺を調べていたら、Wikipediaの「ユゴス」(「Yuggoth」が本書では「ユッグゴトフ」になるわけね)にこの辺の経緯が全部書いてあった。1930年1月に冥王星が発見され、2月から9月にかけてラヴクラフトが書いた作品が本作なのだそうだ。ラヴクラフト本人が意図していない味わいがある気がするなぁ。

暗闇の出没者

クトゥルフ神話知らなくてもなんか聞いたことのある「輝くトラペゾヘドロン」が登場する作品。変死した状態で発見された若い作家ロバート・ブレイクを巡る作品で、そういうこともあってか三人称作品である。

ブレイクは興味本位でかつて宗教団体が使用していて今は廃墟となっている曰く付きの教会堂に忍び込み、そこで教団が使用していたと思しき「輝くトラペゾヘドロン」を発見する、という内容。「輝くトラペゾヘドロン」はニャルラトホテプを召喚する道具でタイトルの「The Haunter of the Dark」はニャルラトホテプを指している。ちなみに本書では「暗闇の出没者」と訳されているが、通例では「闇をさまようもの」と訳されていたようだ。

冒頭で「ロバート・ブロックに捧ぐ」となっているが、本作の主人公ブレイクのモデルとなったブロックは、ヒッチコックの映画で有名な「サイコ」の原作者で、文通友達だったそうである。妙な繋がりがあるもんだなぁ。

インスマスの影

主人公がふと知って興味本位で訪れた、事情を知る人間が誰も寄りつこうとしない町インスマス。主人公は調査の末、この街の人々が海からやってきた人外の生命体と1世紀前に接触し、そこから交配が始まった結果、現在は彼らディープワンの血が色濃く流れる子孫達が住んでいる町となっていることを知る、と言う内容。

危機を察知した主人公がインスマスから逃亡した後、普通に数年生きるので「ホラーなのに生き残るんかい」と思ったが、本当のオチがその先に待っていた。実は主人公の祖母は1世紀前インスマスでディープワンと最初に接点を持ったオーベット・マーシュの娘で──という流れの後、「クトゥルーの呼び声」で出てきた「夢での語りかけ」に続いて、なかなかアツい。ただしラヴクラフト作品で生前に単行本として刊行されたのは本作だけなんだそうで、この辺のリンクに当時気づけたのは文通仲間だけだったよね。

終わりに

誰かが言っていたのだが、科学が発展して今まで信じられていたオカルト要素が陳腐になった頃に、逆に科学が担保する分野からの来訪者のホラーを描いた、みたいな文脈があるらしい。確かに所々結構SFだと感じるんだよな。火星人が攻めてくる内容のH・G・ウェルズ「宇宙戦争」が1898年発表だから、クトゥルー神話が描かれた1920年代にはその辺の素地はあった感じかな。

基本的にマサチューセッツ州が舞台になっていて、ダンウィッチ、アーカム、インスマスはこの州で、ミスカトニック大学はアーカムにある設定。個人的にボストンを舞台にしたゲーム「Fallout4」を思い出してしまうけど、あれにもクトゥルー神話ネタあったよね。本シリーズで重要な海という要素は沿岸部の州でないと成立しないし、山の神を崇拝するアブラハムの一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)に対して、海に住まう神を崇拝する多神教という対比が産まれていると思う。

やっぱりアメリカの話だなぁ、というか歴史を数百年以上遡るとネイティブインディアンしかいないあの国では「古来からいる何か」を書きづらく、コズミックホラーというジャンルを誘発した部分があるんじゃないかな。ニール・ゲイマンの「アメリカン・ゴッズ」が「移民と共にヨーロッパから連れてきた西欧の神々」というテーマなんだけど、アメリカにはどこかこういう意識がある感じなんかね。

というわけで、いつか読もうと思っていたクトゥルー神話を履修したのであった。遅すぎる履修だったなぁ……。

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