動物農場 – ジョージ・オーウェル

「1984年」で有名なジョージ・オーウェルの中編。1984年は管理社会を書いたが、この作品は一度管理から解放され自治を行った者たちの社会を書いており、内容的に姉妹作的な関係にある。

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ここ最近で読んだ作品の中ではとびぬけて面白かった。著者の代表作である1984年は既読。あの作品同様に著者の鋭い視点と主張を感じることが出来る。

有名作品なので色々な出版社から出ているが、私が読んだのは発行が一番新しい(2015年)角川書店版。表題作化だけかと思いきや、他の短編3つと解説が収録されている。解説が充実しており、本全体の約3割を占めている。これはオーウェルの作品が当時の国や政治の状況を理解していないと読み解けない部分が多いためだと思うが、古典となった作品に充実した解説を望んでいる私にとってはうれしい配慮だ。

主人公はジョーンズという農家に飼われていた動物たちで、序盤に偶然飼い主らを追い出すことに成功し、以降は牧場の自治をすることになる。「自分たちの国を作る!」というと非常に前向きなように聞こえるが、もちろん「あの」ジョージ・オーウェルが書いているわけで明るい未来が待っていないことは約束されたようなものである。

動物を使ったおとぎ話風の話という時点で比喩や寓意を持たせていることは明らかであるが、解説によると一般には次のように解釈されているらしい。長い引用になってしまうが

まず定説といってもいいほどはっきりしているのは、この物語は、一九一七年の二月革命に始まり一九四三年末のテヘラン会談に至るまでの、ソビエト連邦の歴史、つまり、スターリン体制下におけるソビエト連邦の歴史に対する諷刺である、とする見方である。(中略)

今、この見方に従って、物語の人物や事件を、実在の人物や国々や具体的事件に対応させてみると次のよう になる。メージャー爺さん→レーニン、ナポレオン→スターリン、スノーボール→トロツキー、ナポレオンが手なずけた九ひきの猛犬→国家秘密警察、また、ボクサー→トハチェフスキーやその他、羊たち→青年共産主義同盟、ジョーンズ氏→ロシア皇帝、フォックスウッドのピルキントン氏→イギリス、ピンチフィール ドのフレデリック氏→ドイツ。

次に事件の対応を見ると、スノーボールの逃亡→トロツキーの亡命、風車の建設→産業五か年計画、ピンチフィールドのフレデ リックとの商取り引き→独・ソ不可侵条約、ピルキントンとナポレオンとのトランプ・ゲーム→テヘラン会談ということになるであろう

このようであるそうだ。私は浅学なので具体的な人物・団体に当てはめて読むことが出来なかったが、同じような状況になりそうな方にもこの本はお勧めできる。解説でも上記の文章の後に続けられているように、優れた寓意性を持つ物語は他の色々な状況に(この本の場合はとりわけ権力の移り変わりに)対応させることが出来るからである。

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例えば私は「内容もよく分かっていないのに、標語を連呼する羊たち」に昨今のFacebookやTwitterのようなSNS社会を連想していた。一度「どうやらこうであるらしい」となってしまったら、状況をよく知らない人間までもがそのように発言するようになってしまう。作中では人間に変わって為政者となった者たちが、自分の都合に良いように標語を変えてしまうシーンが出てくるのであるが、この羊たちは為政者に「教育」されると、今まであんなに連呼していた内容を変えて別の標語を繰り返すようになる。

今まで決めていたルールが為政者にとって都合のいい内容に変えられてしまうというシーンはこれに限らず複数回出てくる。しかし壁に描かれた法律を読むための識字率が低い動物たちの中でそれは「通ってしまう」。教養が無ければ、あるいは監視をするようなシステムが無ければそうなってしまうのだ。今現在のSNS社会はもっとタチが悪く、例えば元の発言者が意図せず間違っていてもTwitterでリツイートされて、Togetterでまとめられて、はてなブックマークでホットエントリになって、以後その前提が共用されるみたいな流れが頻繁に起こりうる。

こういう風に現実と重ねられるような描写が大量にあるのがこの作品である。オーウェルが現代を見たらどのように評価をするのかは、「それがどの時代であっても」興味深いところだ。

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